日野原 重明先生 金言集 「死」を受け入れる。「老い」を受け入れる。
2017年9月 梅新デンタルクリニック
院長 米村 幸城
尊敬する日野原 重明 先生が、7月18日に、105歳でご逝去されました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
日野原 重明 先生の金言の一部をご紹介させていただき、多大な功績を偲ばせていただければ幸いです。
「死」を受け入れる。「老い」を受け入れる。日野原 重明 先生 金言集です。
「死」を受け入れる。
医療界だけではなく、社会全体で考えるべき問題だと思います。まず無駄な医療をやめることです。医療を営業と考える医者は、延命治療に夢中になりがちです。患者や家族には「長生きは良いことだ」という思い込みがあり、医者も延命した方がもうかるからです。
しかしチューブにつながれて最期を迎えることが患者や家族にとって本当の幸せでしょうか。
社会的にみれば膨大なコストがかかっている。
お年寄りに「長生きするな」と言っているのではありませんよ。人生の質を言っているのです。
私は日本におけるホスピスの普及に力を注いできました。ホスピスでは、天から与えられた命を、最後まで質高く全うすることに重きを置きます。
患者には「最後がきましたよ」と自覚してもらい、「また天国でお会いしましょう」と家族とお別れしてもらいます。
グッバイではなく、シー・ユー・アゲインです。
延命治療をやめれば、住み慣れた自宅で最期を迎える人が増えるでしょう。病院より、自分がずっと生きてきた場所で最期を迎えたいと望む人は多いのではないでしょうか。
これを実現するには医者も患者も家族も考え方を改めなくてはなりません。死に抗うのではなく、死を受け入れる考え方が必要です。
「老い」を受け入れる。
政府は、75歳以上のお年寄りを後期高齢者などと呼びますがね、あれはダメです。
老人という言葉には『人生経験を重ねた思慮深い人』という畏敬の念が入っている。
中国語で立派な人を『大人(ダーレン)』と呼ぶでしょう。あれに近いニュアンスですね。
一方で、高齢者という言葉には『物理的に年をとった人』という意味しかない。おまけに『後期』などと線引きする。
あれはお役人の発想ですよ。そう呼ばれた人たちがどう感じるか、人の気持ちを考えていない。
私は、75歳以上のお年寄りを『新老人』と呼びたい。
世界のどこよりも早く超高齢化社会に入った日本の75歳以上は、国民の寿命が延びたことによって生まれた新しい階層だからです。
『新老人』たちが生き生きと活躍する社会を作ること。それこそが、私に与えられたミッションだと考えています。
何事も、今ある規則のとおりにやっていたのでは進歩はない。
規則を破るようなことをやらないと、現状はなかなか変わらない。
規則を破ったとしても、皆が応援するような破り方をすればよい。
そうすれば、新しい良い規則がずっと早く出来る。
日野原 重明